我が国の今後の医療の在り方

他の提言の医療保険制度の行き詰りの中でも触れていることだが、少子高齢化社会の中で我が国の今後の医療の在り方が問われている。

 

私がまず思うことは、一般的には少子高齢化社会の中でますます医療費負担が増大して大変になると言われているが、ここで考えないといけないのは少子高齢化が医療費の増大を引き起こしたのではなく、医療費を際限なく増やしてきたから結果として少子高齢化の結果を招いているということです。

 

少子高齢化の原因については女性の社会進出などいろいろあげられてはいますが私は医療費の際限ない増大化が最も大きな原因ではないかと思う。

 

政治的に見ても政治家にとって高齢者、医師会、製薬企業など現在ではそれほどの影響力はなくなっているとは思うが最も政治的な意味で重要視されるべき対象だったことは言うまでもないと思う。

 

その中で結果として医療技術、治療薬が開発され、それが生物学的な寿命を延ばし続けたと思う。

 

私が言いたいのは、今後の我が国の医療を考えていくうえでまず第一に考えないといけないのは、10年後に高齢化がどうなっているかではないのです。

 

多くの医療問題の話の中で、高齢化社会が大前提となっていて、そのためにどうするかが議論されている。

 

そもそも出発点が問題だと思う。

 

私たちが今考えなくてはいけないのは結果として高齢化社会になっている今までの社会の在り方、今現在の高齢化社会での高齢者自身、それを支える家族、社会にとって、事実として本来、人が人として生きるふさわしい社会になっているのか?

 

言い換えれば、私たちがこれからの我が国の医療を考えてゆくとき、本当にまず第一に考えなくてはいけないことは医療費をどう抑制すべきかということではなくて今の医療の在り方で人が人として生きるにふさわしい社会が形成できるのかと言うことなのです。

 

もし仮に、このままの医療の在り方でよいとすれば消費税含めて財源論を推し進めてゆけばいいだけのことです。

 

ただ、私は今の医療の在り方、というより、社会の在り方は間違っていると思う。

 

本来の生物の一つの種としての人間の生き方、生を考えてみるとき、私たち現代社会はあまりにも自然から離れてしまった、ある意味では傲慢な生き方をしていると思う。

 

現実的な医療の現場から考えてみた時、4つの点で基本的な考え方の転換が必要と思う。

 

一つは他の提言の中でも取り上げていることであるが生ある者には寿命が必ずある。基本的には自然の寿命の尊重である。尊厳死はもとより、ある程度の年齢以上の生命のむやみな延長は生命の尊重の観点からも社会経済的な観点からも避けるべきだと思う。

 

もう一つは年齢以外で問題となるのが多くの成人病においてかなりの部分、自己責任があるということだ。確かに遺伝的な体質の問題も関与している部分もあるのは事実だが、先天的な疾患を除いてやはり自己責任という考え方を医療保険の中で取り入れていかないと、怠惰な生活をしている者ほど税の恩恵を受けるということになりかねない。健康はお金で買えないという事実は間違いのないことではあるが。

 

もう一つは、医療保険制度自体の問題だ。いくつかの問題があるが、薬価の問題は大きいと思う。いわゆる薬代だが、成人病疾患においてはいくつもの似たような薬剤がいくつもの製薬会社から出される。実際にそれぞれの製薬会社で研究費を費やして開発されたものだが、よく考えてみるとそれらの研究費用は薬価として国の医療保険の中で結果的には支払われることとなる。

 

確かに民間の製薬会社が競って新薬開発をすることによる大きな利点がありそうではあるが、医療費負担の観点から言えばムダ金ともいえる。過当競争の中で不正データ改ざんなどの事件もあったのも記憶に新しい。新薬から10年経過して特許が切れてジェネリック販売が認められているが、副作用、効能効果、医療機関への情報提供などの問題からジェネリックへの移行がなかなか進まない現状がある。先発メーカーの子会社を通じてのオーソライズジェネリックという全く先発品と同じものがここ1~2年の間にいくつか出てきている。様々な問題があると思われるが結局はそれに尽きる気もする。

 

私は最近の製薬会社を見ていて思うのだが薬価として認める製薬会社を絞ることも考えるべきだと思う。規模ではなく、薬剤そのものの副作用含めた評価、薬剤の副作用などに対して真摯に対応している企業なのかどうかなどすべてを評価して国民の健康にとって害のある製薬メーカーは薬価から排除することも考えるべきだと思う。

 

最後になるが医療機関そのものの問題だ。そもそも多くの病院は保険医療機関であり医療機関の医療機器、土地、建物の原資は国民の医療費、すなわち税金だ。そして医師資格そのものも医学部で学ぶ費用にも税金がつぎ込まれている。

そういう意味で医師は医師法において診療拒否ができないことになっているゆえんとも思うが、私は本来、設立医師が医師をやめるとき医療施設などを、国庫に返納するのが道理にかなっているとも思う。

ただ、現実的には診療収入は物や、家族の資産等に代わっていることが多いいいと思われるので、結局は診療収入を出来高ではなく公務員化して給与として一定額にするのがわかりやすいと思う。

 

人が医療行為に携わるとき、それが医師であれ、薬剤師であれ、製薬会社であれ、税金が原資であるという以前の問題として、本来、それは他者に寄り添う気持ちであり、サービス精神だと思う。

 

今後の医療を考えることは、今後の日本社会の在り方そのものを考えてゆくことだとつくづく思うし、ただ単に今までのような薬価改定、診療報酬改定などで解決するとは思えない。抜本的なダイナミックな改革が不可欠である。

 

このことは、医療だけではなく他の分野でも同様なことがいえると思う。

 

私たちの今までの価値観を塗り替えていかなければならない時なのです。

 

2015年1月13日   文責  世界のたま   sign

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