これからの日本の在り方について(3)(財政、金融政策)

他の提言の中でも今までの日本の財政史を紹介し、その中でも指摘したことであるがこの2年間行われた安倍政権での財政、金融政策は根本的なところで間違っていると思われる。正確にいうと、間違っているというより私が現代日本財政史の中で日本が間違った選択枝を選んでしまったと指摘した1975年そして1990年と同じ過ちをしようとしているのです。

 

私が思う過去の過ちと違った今回の最大の過ちは過去2回の過ちはまだ国民の債務がGDPに対してまだ小さかったが今現在はGDPの2倍を超えてきているという事実、そして国家債務は増え続け、一方、GDPは減少傾向であるという事実を認識しているのにもかかわらず馬鹿みたいに過去と同じ政策を押し進めようとしていることです。

 

もう本当の意味で後がない現実を認識しながら見て見ぬふりをして時間稼ぎをしていることです。それはちょうど今年、韓国で起きた多くの修学旅行生を失った船の転覆事故に似ている。

 

船長含めて、船員は専門知識と今起こっている事実の中でこれから起こるであろう結果を認識していたはずで、そうだったからこそ自分たちだけは早々と生徒たちを置いて逃げてしまったのだが。

 

現在の政府、官僚、多くの国会議員も、自分たち自身や現社会で地位や財産を築いている人たちのことしか考えていないと思う。はっきり言って彼ら以外のこれからの子供たちや多くの現社会で取り残された人たちのことを真剣には考えてはいない。

 

韓国の船員たちが、じっとしていればどうにかなるという言葉を生徒たちに残して、自分たちだけが助かるためだけに貴重な残り少ない時間を使ってしまったのと同じように、彼らも私たちにとって大切な時間を無駄に、そしてより最悪なシナリオに向かって突き進もうとしている。

 

自分たちだけは安全を確保した上で。

 

今の日本を見ていて私はよく思うのだが今の日本はちょうど命の灯が消えかかっている患者さんに似ている。そうした患者さんを目の前にして、どう治療をして、どのような精神的なサポートをしてゆくのか、私は今の日本にはそれが問われているのだと思う。

 

実際の医療の現場では、いろいろな考え方があり、ケースバイケースであると思う。ただ真の意味で患者さんが成人であり、理解能力にも問題なく、まだこれから何かしなければならない人であったとするならば、私はいつも思うのだが確かに現実を受け止めることは非常につらく、告知する人にとっても告知される人にとっても大きな残酷な事であるが、基本的には真実を伝え、その中で自分がどういった治療法を選択し、どういった生き方を選ぶのか決めるべきだと思う。

 

その際に最も重要なことは事実を事実としてきちっとと伝えることだ。自分の価値観を加えてはならない。

 

先日、たまたま東京に在住の経済の専門家とお話をさせていただく機会をいただいたのだが、その際に彼がお話ししてくださったことの中で一つ印象に残ったことがあった。経済学者のケインズが言っているとのことだが、財政金融政策においては一部の優秀なスタッフに委ねるべきだということだ。

 

実際にイギリスにおいては伝統なのかプライドともいうべきなのか社会的責任というべきなのかはっきりしないが給与、所得ではない価値観に基づいて一部のいわゆるエリートたちが財政、金融政策を主導しているとのことだ。

 

私はつい性格もあって国家、政府を疑ってかかる癖がある。基本的には間違っていないし現実的に今の日本国、政府、議会に関してはそういったレベルの機関でしかないと思っているが、ただ、これからの日本を考えてみた時、彼のその話は単純にそうだったのだけれど改めて自分自身に気付かされたのです。

 

世の中には公務員であれ、私企業人であれ、ただ一人の人間として給与ではなく、地位でもなく黙々と自己を顧みずとまではなくても他者のこと、全体のことを見据えて仕事されている、生活されている人は多いいと思う。

 

ことは意外と簡単なのだと思う。要はそういった人たちをいかにして引き出して能力のまま発揮させてあげられるかだと思う。

 

日本の場合に限らないが1975年ころから政治家主導で財政政策が推し進められてきた。確かに憲法上、財政民主主義ということで当たり前のことなのだけれど、国債発行をきっかけに族議員が誕生し、派閥、政党中心で国家の祭りごとが行われた。

 

政党中心も本来の国民の媒体としての意味があればよいのだけれどそれぞれの国会議員の身分保障に近い形での保身的な団体としての政党に成り下がってきており、そこには本当の意味での国家政策を推し進めるための組織の意味合いはない。

 

今回の衆議院選挙がそうであったように国民に真剣に国家の今後の方針を問うものではなく、いかなるタイミングで自分たちの議席を増やすかが解散の目的になってしまっている。

 

命の灯が消えかかっている国民、国家にとって今、財政、金融政策を行っていくうえで一番必要なことは、細かな具体的な政策についていろいろ思うことはありますが、その前提として先に述べたような意識レベル、志を持った国民の代表者である国会議員、そしてエリート官僚が必要なのです。

 

そのためには私たち国民自身が価値観を変えた選択をしてゆかなければならないのです。

 

今の財政、金融政策は今までの資本主義的な考え方の上でごり押ししてゆこうと思っています。世界の資本主義的な流れは行き詰まってきています。手段としての資本主義が良い結果を産まなくなっている現実を私たちは直視しなければならないのです。

 

他の提言でも述べていますが手段としての資本主義を評価しつつ、結果としての矛盾を調整すべき時期に差し掛かっているのです。それを私は敢えて社会福祉主義といっています。

 

今、日本社会、世界社会は資本主義の中で成長を遂げ、物質的には豊かになったけれど結果の不平等が、機会の不平等を引き起こし、それがすべての事象の根源になってきていると思う。

 

日本自身もいつまでも現実的ではない、経済成長、GDPの上昇が続くという夢のような絵空事を描くのではなくつらいけれども今ある国家債務、少子高齢化社会を直視しないといけない。

 

治療でもそうであるがいつまでも、騙して麻薬を打ちつづけたところで意味はない。緩和ケアという観点では意味があるがその一方で事実を告知してこれからのことを真剣に考える時間を持つことが最も大切なことなのです。いつまでも減税、公共事業、商品券などのばらまきをしたところで、一時的な時間稼ぎにすぎないのです。

 

残された時間をいかに有意義に使ってゆくのか、今それが問われているのです。

 

いつまでも今までの価値観の中での成功体験にすがっていたところで意味がないことに私たちは気づかなければならない。

 

真の意味で国家、国民、世界のために財政、金融政策を行っていける国民の代表者たる国会議員、そして彼らと運命を共にして真の意味で己を顧みず、国家、国民、世界のために働く真のエリートである官僚を私たち国民が選び、育ててゆかなければならないのです。

 

2014年12月30日  文責  世界のたま        sign

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